引き取り−

 

何とか嫁さんを説得し、ついに購入の返事をしてしまった。さぁこれから引き取り・名義変更の計画を立てるぞ!最初は積車でも借りて積んで来ようかと思ったが、短期間の任意保険に入れるという話を聞いたので自走して来る事にした。どちらにせよ行きは公共交通機関を使わなければならず、どうせ東京方面に行くなら旅行を兼ねて嫁さんと行こうと思い、金曜日の晩11:00出発の高速バスで東京へ行き、土曜日は朝から晩までディズニーランドで遊んで、夜は東京のホテルに泊まり、翌日朝、常磐線で取手の駅(オーナーさんが取手駅まで乗ってきてくれる事になっていた)に向かう、というスケジュールにした。それには嫁さんも多少喜んでたようで、少しご機嫌が取れてホッと胸をなでおろした。

ジャパンからはちょっと話がそれるが、ディズニーには少し苦い思い出があり、嫁さんとまだ付き合ってた頃に初めて旅行した所なのです。ところがどっこい行ったのはいいが、2月のひょうが降る様な寒空の中で、僕は前日から引いていた風邪が一気に悪化し39度くらいの熱が出て、どうにもならず結局半日ちょろっと居たくらいですぐにホテルにチェックインして、挙げ句のはてには翌日になっても全く治ってなかったので朝イチで帰ることになってしまったのだ!そんなわけで嫁さんには非常に悪いことをしてしまった。その分ムチャクチャ無視されたりしておアイコだと僕としては思ってるのだが?!

しかしながら今回は体調もバッチリ!朝一番から夜最終までいたので乗り物にも相当乗れたし、夕飯も出し物を見ながらの楽しいディナーで、嫁さんと同じくらい僕も楽しむ事が出来た。

そして翌日曜日。天気は残念ながら雨で帰りの運転が心配だが、ともかく嫁さんと常磐線に乗って取手に向かう。駅を出るとロータリーがあり、しばらく待つ。「先回見たキレイなジャパンのままかな?」なんて当たり前の事を不安に思いながら待っていると「来たっ!」来ましたキレイなままのジャパンが!!オーナーさんは4〜5歳くらいの長男を連れてきており、「谷和原I・Cまで送ります」との事で僕らもジャパンに乗り込み4人でI・Cへ向かった。途中郵便局に寄ってもらい、お金をおろして現金で支払いを済ませた。そして、この前来たファミレスの駐車場には奥さんが車で迎えに来られており、そこで引き渡しという事になり、オーナーさん一家に見送られる中、僕のものになったジャパンで名古屋に向けて出発した。

←やったー!僕のジャパンだよーん!の図

常磐道を抜けて首都高へ、幸いあまり混んではいないのだが、雨で水が溜まった路面のせいでハイドロプレーニング現象がしょっちゅう舞起こる。うわぁ〜、乗りにくいなぁ、だけど買ったばっかで文句言ったり不安がったら嫁さんに「それみたことか!」と言われるのは目に見えているので不安は臆面にも出さぬよう努めていた。これはフロントにキャンバー角が付きすぎてるためタイヤが内べりしているために起こっていたようで、後々だいぶ経ってから気が付いた(外からはあんまり分かんないのね)。だけど最初は「やっぱり古い車を甘く見たかな」などと思わなくもなかった。それと高速を走って気付いたがローギヤードなのにビックリ!4速も5速も全くと言っていいほど変わらず、100qでも3500回転くらい回っていた。これまでOD付きのATはもちろん5速ATなんてのにも乗ってたくらいなので「ス〜っ」と走るのが当たり前な所に、このエンジンのうなりは正直ちょっと疲れた(今は慣れたけど)。加えてマフラーが破けてるので排気音は容赦なく車内に進入してくる。そして足周りのハネ具合!楽しみにしていた僕が疲れるくらいなので助手席の嫁さんはもっと疲れていただろう。実際「楽でない!この車!」を連発していた。ついに限界が来て嫁さんがシートを倒して寝ようとすると、首が「ガクゥッ」。そうコイツE・Xはジャパンの中でも最ラグジュアリーグレードなので、当時の日産高級車お得意のヘッドレスト埋め込み式のシート、略して「猫背シート」なのだった。「もうっ!楽でないっっっ!」なんか運転席から見ていたらユーモラスでかわいい怒り方だった。

そんなこんなで夜8:00頃名古屋に到着。引き渡されてから1qも走らない内に高速に乗ってしまったので、楽しみにしていたシフトワークをやっと味わう事が出来た。「おお〜、やっぱり楽しいじゃないか!」とちょっと安心しながら僕の実家に寄って親父に見せる事に。「親父が昔乗ってたのと同じジャパン買ったよ!」懐かしがってくれるかな?と反応を試してみたら「バカかお前は?」と言われてしまった。そうだ親父はその時代時代の高性能マシーンが好きな前向きな人間だった(現に今はアリストのV300に乗っている)。しかし、本気で言っている様子では無く、実際に見ると「あそこがどうだ」とか「E・Xは・・・」とか結構良く憶えていた。

 

そうして我が家にジャパンがやって来た!翌週には友達の協力で平日に名義変更もしてもらい、晴れて僕のジャパンとなった!

←嫁さんとジャパンの2ショット、当時「恋敵」と言ってたっけ・・・

それから5年間、平成15年8月まで我が家のファーストカーとして雨の日も風の日も走ってくれた。この車のおかげで出来た友達もいるし、手離した当時2歳の息子も大好きな車でした。

素敵な5年間をありがとう、スカイライン・ジャパン!