−僕の好きな車達−

TOYOTA


マークU・チェイサー・クレスタ

GX71

      

白いボディにワインレッドの優美なインテリア。白いハイソカーの王道。

昭和59年にデビュー。昭和50年代後半〜バブル期にかけてのハイソカーブームを代表するGX71系マークUシリーズ。今となってはマークU・クレスタ・チェイサー共に一緒の車に見えるかも知れないが、当時兄弟車といえばグリルとかテールが違うくらいが相場だったのに対し、外観的にこの3兄弟はセダン系(マークUセダン・クレスタ)・ハードトップ系(マークUHT・チェイサー)でそれぞれドアパネルが一緒っていうくらいで後は全く別物だった。僕的には良くぞ3台それぞれに微妙な違いを出していたなぁ、と思う次第です。僕が免許を取った時にはまだまだ中古でも高くて、みんなこぞって欲しがってました。実際、僕の友達も免許を取ってすぐには買えず、2台目に買う者が多かったが、気が付くと各車種・各エンジン・各グレードに渡って乗ってました。僕はみんながGX71を選んでた時にライバルとされていたC32のローレルを選びました。(ひねくれ者)だからGX71に対しては「良きライバル」として好きですねぇ〜。(向こうは思ってないって??)

↑大学時代の寮の駐車場。左端が後輩のクレスタ。貧乏人ばっかりなので、遅ればせながらの白いハイソカーブーム!?


GX51・61

   

↑このテールに魅了された人も多いハズ??

昭和55年マークU・チェイサーがまだ「MX40」(通称ブタ目)の頃、GX51という形式で新規ディーラービスタ店からクレスタという単独車種でデビュー。その後しばらくしてマークU・チェイサーもフルモデルチェンジ、GX61としてデビューし現在の様な3兄弟となる。昭和57年のマイチェンで1G−GEU(ツインカム24)搭載車が加わり、クレスタもGX61となる。コイツはGX71で謳歌したハイソカーブームの立て役者だった。僕の世代だとGX71が欲しくても、高くて買えなかったから選ぶというケースもあったが、形はロングノーズでどの車種も格好良かった。マークUのイーグルマスクも良かったし、クレスタのケツなんかは鬼クラを小さくした様な1クラス上の雰囲気を醸し出していたなぁ。新車で走っていたのは小学生の高学年から中学1年までだったけど、このクラスって今よりもホント高級車って感じで、友達の家とかでもマークUに乗ってるっていうと「金持ち」って言うイメージがあった。そんな高級車であるマークU(見るのはクレスタが多かったかな)に大学生とおぼしき若者がポロシャツなんか着てカジュアルに乗り回している姿を、中学生の頃、通学途上で良く見受けられる様になった。センセーショナルだった。その頃が若者にとってのGX61としては、きっと一番輝いている頃で、その後はフルエアロのグラチャン仕様が流行し、グラチャンが廃り出した平成初頭には福岡仕様として最期の華を咲かせた。でも僕としては、どの世代でもそれぞれ格好良かったと思っているし、福岡仕様が似合う車としてはNO.1では?とも思っているのであった。

↑福岡仕様のGX61クレスタ(カーコラです)


MX40

 

↑左はマークUの2ドアHT、端正でとても綺麗なラインです。右は後に兄弟車として追加されたチェイサー(後期)。マークUよりスポーティな位置づけだった。

昭和51年にデビュー。新登場したばかりの頃はちょっと記憶に乏しく、少し経って近所の人が乗り出した頃から気になる存在となった。家の車が日産ばっかりだったので、トヨタ車に縁が無かったからだ。とにかく「高級」なイメージがあり、今見てもジャグワXJ的なラインをしている(当時のムスタングにも似ているが)。子供の頃、謎だったのが、同じマークUでもすごく高級に見えるヤツと地味に見えるヤツの2通りあった事だ。今にして思うと、Lシリーズのハニカムの様なきらびやかなグリルと縦すじのシンプルグリルの2種類存在していたのだが、幼稚園児だったので区別が付かなかったのだ。もう1つ記憶にあるのが「LG」というクレードの事で、その頃GLっていうグレードはほとんどの車に存在していて(うちのケンメリも1800GLだった)知っていたのだが、マークUにはGLもあり、「LG」というひっくり返した様なグレード名も存在していた。幼稚園児ながら「間違いで右から読むのかな?」と思ったり、「どっちが良いグレードなんだろう?」と思って不思議だった(くだらない)。

↑これが僕の心の中で問題となったLG。まぁまぁの高級グレードだった。

マークUグランデのビロード調のシートは、とても魅力的だった。それとは逆にスポーティな真っ赤なチェイサー2ドアHTのSGSも草刈正雄のコマーシャルと共にセンセーショナルで格好良かった。当時の雑誌で、良く我がジャパンとライバル比較されていたのが印象的。