−これまでに乗った愛車達−

No.2 昭和61年式 日産ローレル 4DOOR HT RB20Eメダリスト

  

シビックで18年間待ち焦がれたカーライフを愉しみつつも1年位経った平成3年初頭から、次第に元来の趣向である「ハイソカー」への思いが強まってきた。情けない理由なのだが、僕は仲間内では車を持ったのが早い方で正直言えばどんな車でも自慢出来たのだが、後発の友達が焦らずじっくりと妥協の無い車選びをした結果、GX61や430辺りの「古いけどでかくて格好いい車」(少なくとも僕にとっては)に乗り出したのだ!そうするとちょっと早く車を手に入れた喜びなどどこへやらで、見ていて「うらやましい」の感が高まり、やっぱり年齢不相応な高級車をカジュアルに乗りこなしたい!という気持ちで一杯になってきた。実はその頃「福岡仕様」なるブームが訪れ、これまでフルエアロ一辺倒のGX61系いじりの文化に一石を投じた。そしてこの「高級車のハズなのに硬派でレーシー」という福岡仕様には僕もハマった。(実際にやったワケでは無いのだが・・・)そこでシビックを売ってGX61クレスタを買おうか?とも思い、探してみたところ10万円くらいの追い金で昭和59年式の極上車が見つかり迷ったのだが、友達から「今更シビックよりも3年も古い車に追い金を出して買うなんてバカバカしいよ。だったらもう1年くらい待ってGX71系の値が下がってから買った方がいいよ」と言ってくれた。これで少し目が覚め、取りあえずこの場の衝動買いは収まった。

平成3年夏、先程の衝動買いを止めてくれた友達が車の買い換えを検討し始める。彼は小学生の頃からの付き合いで車の趣味については言葉要らずな程の理解者であり、彼もいろいろな事情があって初代マイカーは僕のワンダーシビックと兄弟の様な初代インテグラだった。シビックとインテグラという事で車的には端から見ても好コンビだったと思われる(自惚れか?)。そんな彼が検討したのはGX71系か7thスカイラインの4ドアHT。ただし彼は僕よりもハイメカ好きなので、いずれもツインカムターボ車を所望していた。結局7thスカイラインのGTパサージュツインカムターボを購入した。ハヤリのGX71のGTをはずして7thを選んだチョットひねくれた感覚がとてもニクかった。

そんな影響もあり(というかそれが引き金かな?)、また免許を取得した1年半前には考えられなかった車達がついに手が届くようになり僕もいよいよ買い換えを検討する。

この昭和60年代のハイソカーは好きな車ばかり!トヨタではGX71系、日産ではC32ローレル・7thスカイライン・レパード、やはりひねくれ者の僕としてはトヨタより日産が良かった。中でもC32ローレルは僕が中学1年の時に親父が新車で乗っていた。それも当時としては強力な170馬力(グロス)を発生するVG20ET搭載のメダリストだった。この頃は本当にリアルタイムな「白いハイソカーブーム」で町にGX71が溢れかえっていたが、ヤツらはトップレンジの1G−GEU(ツインカム24)でも160馬力で(60年にツインターボが出てしまったが)足も柔らかかった。そこへ行くとローレルはどちらかというとゆったりした感じの「走らなそう」な形をしてるのに、エンジンは当時のZ31と同じ赤いヘッドカバーのVG20ETと、まだ登場していなかった7thスカイラインにも搭載される非常に素性の良いストレート6と評判だったRB20Eを積んでおり、ハンドリングもスカイライン譲りで良いとの評判だった。だから親父がローレルという車格に似つかわしいほどのタービン音をさせながらキックダウンする様は憧れ以外の何者でも無かった。まさに羊の皮を被った狼だった。しかし、同じように白いボディで内装もワインレッドなのに販売台数的には圧倒的にGX71達に水をあけられてしまった。実はローレルも時代の流れ的に売れていたのだが、GX71の売れ方が凄すぎたのだ。(確か当時の販売台数は1位マークU2位カローラ3位クラウンでローレルは15位くらいだったかな?)その頃から僕は「大学生になったら絶対ハイソカーを乗り回したい。しかもマークUやクレスタでは無くローレルで勝負だ」と思っていた。だから心はGX71を買うお金があるなら、ローレルにしようと決まっていた。

←購入後、半年くらいで念願のアルミを履く。C32でGX71の様にいじりたかった。

そして平成3年12月に昭和61年式のC32ローレルRB20Eメダリストを購入。実はシビックより1年古いのだが、シビックが昭和58年デビューに対しローレルは昭和59年デビューという事で、基本設計は1年新しいハズだから良いんだ、と自分で自分に言い訳をしておこう。何より憧れのC32ローレル、1年位年式が下がるのは、車格と憧れで十二分に相殺だった。ただし唯一妥協したと言えば、Vターボで無い事。中古のターボというのがメカに詳しくない僕としてはチョット不安だった。しかもこの頃すでにC33がストレート6のラインナップでデビューしていたから、V6のローレルというのは歴代の中でも完全に亜流だった。また、新車当時の雑誌のインプレッションでもRB20Eはすこぶるシャープでレスポンスが良いと評判だったので、エンジンはストレート6でいいや、という感じだった。何より日産系のディーラー中古で、距離も2万5000qくらいしか走っていない極上車だったのもコイツに決めた要因だった。

何はともあれ、やはり僕にとってコイツは最高の車だった。スタイルはパッと見、顔に迫力があるためデカく見えるけど実は結構低くて全体的にケツ上がりでシャープなデザインだった。7thのサイドビューとそっくりなのは好きな方ならお分かり頂けると思うが、シルエットだけなら、その前の型のR30の2ドアにもよく似ている。サイドウィンドゥ周りのメッキモールがルーフまで巻き込んでいて、夜横から見ると屋根が無いように見えるあたりの処理はとてもよく似ている。顔なんかはアメ車っぽく有りながらも、実は低くて薄いんだよといった感覚は先代のセビルSTSあたりに似ている(もっともセビルの方がだいぶ後発だけどね)。でも少し冷静になって見ると、セダンのデザインは当時のボルボ740にウリ2つだ。4本スポークのハンドルのデザインまでそっくりだから、多分影響を受けているのだと思う。

内装については、当時絶壁と称され酷評だったが、個人的には皮シボ風の質感、木目の使い方、幅が広くたっぷりとしていながら、日産特有のピラーレスハードトップの開放感を活かす為に低い背もたれを持ったシートなど、マークUに一歩も引けを取ってなかったと思っている。

コイツには学生時代の半分以上と社会人になってからもしばらく乗っていたので3年間共に過ごしたのだが、その間全く飽きる事が無くずっと気に入って乗る事が出来た。しかもGX71には負けてないんだ!という事を証明したいという不思議な使命感に燃えていたので、ヤツらと同じ様ないじり方をして「ローレルっていじると結構格好良いんだ」と世の人々に思わせたかった。しかしながらGX71の様に社外パーツが豊富にあるわけではないので(皆無に等しかった)、創意工夫を凝らしてはちょこちょこといじっていた。けれどもパーツを買って付けるだけでそこそこ格好良くなる車と違い、アレ付けたらどうだろう?とか、コレ付かないかなー?と悩むのもオツなものだったし、ちょっといじるだけですぐ格好良くなるのも魅力的ではあった。

←どうです、格好良いでしょ!GX71には負けません!

そこで色々いじりながら、たどり着いたのが上の写真の仕様。適度に車高をオトし、後期用のリップを無理矢理付けて、モール・サイドステップもボディ同色に自家塗、ケツのアンダースポはプラ板で自作、グリルはセダン用の加工、クリアウィンカーもプラ板で自作した。ちょうどVIPカーがまだ流行るか流行らないかっていう時代で、その頃のシンプルVIPカーを意識したり(Y31シーマとかY32セドグロ)、全く別路線でアメリカン系(マークUバン・Y30バン)も流行ってきており、この辺りは年式も近い車達なので、取り入れ易い部分が多く、結構参考にした。実はafのザ・ステージにも2度ほど載る事が出来ました。(ちっちゃくだけどネ)

ともかく大学生活も半ばとなり、大阪での自由気ままな生活を満喫していた頃に乗っていた事もあって、今まで乗った車達の中で、一番思い出深い車です。本当に楽しい思い出ばかり!窓全開のフルオープンで音楽も全開で生意気にシートを倒して片手でハンドルを回していたのが懐かしい!もう一度乗りたいなぁ〜。

その頃の気分を象徴するイメージ写真(本物です)空は真っ青、車は真っ白、気分は爽快!ってな感じでした。