−僕の好きな車達−

NISSAN


ローレル

C32

↑マークUより派手なスタイリング。メーカーの狙いとしても、こんなフォーマルなスタイリングの車をラフに乗りこなす所に新しさを感じて欲しかった様です。

昭和59年10月に宿敵GX71系より1ヶ月遅れてのデビュー。詳しくは−これまでに乗った愛車達−のコーナーを見て頂きたいと思いますが、先代C31が時代を先取りしたすっきり欧州調だったのに対し、販売台数がいまいちだった事による反省か、一変してアメリカンなデザインでデビューした。ここでライバルマークU系を見てみると、GX61系が直線基調のデザインに対し、GX71では当時としては幾分か丸みを帯びてデビューした。ローレルは丸みを帯びたC31で「しまった、敵は直線だった!」と思ったのだろう。そこでC32にGX61系の様に直線デザインを与えたが、敵はもう一歩先を見据えていたのだ。冷静に見ると日産はマーケティングが下手なメーカーだと思う。でもこの頃の日産は見かけによらぬシャープなエンジン、クイックなハンドリングなど、ハード面ではトヨタの高級車よりも「走る楽しさ」を追求していた様に思える。だからセンスの悪さもご愛敬で、許せてしまうモノを持っていた様に思えます。(かなり私的な思い入れが入り交じっているので悪しからず・・・ちなみに僕はスタイルも好きなので、これでも控えめなつもりです)

 

↑元C32後期乗りのくぼさんから頂いた画像です。メダリスト仕様のCA18グランドエクストラホワイトスペシャルです!ホイールキャップも白にペイントしてコーディネート!良く見るとV−TURBOに標準のフォグランプも付いてますね!

 

↑左は僕が乗ってたローレル(RB20E)真っ白けっけのさわやか仕様?!右は友達が以前乗っていたローレル(V−TURBO)アメリカンなスタイルを活かした好例?!

↑福岡仕様は日産系ではジャパン・F30レパード・910ブル等が多かったが、C32もやれば似合ってたのになぁ。(カーコラです)


C31

 

↑これは後期型。すっきりメイクの前期型の反省からだいぶクドい顔になった。

昭和55年にデビュー。出た時のキャッチコピーが「アウトバーンの旋風」というくらいで、とかく空力をアピールしていた。多分CD値という言葉を流行させた立役者だろう。この頃のモデルチェンジは(僕にとって)車の形が大変化した時代なので、どんな車にも感動しており、コイツもその1台であった。高級車にしては珍しかったスラントノーズ、それでいて旧(C230)ローレルの顔立ちも上手く残していた。また、6ライトウィンドゥも子供心に「あのオペラウィンドゥから外を見てみたい!」などと、ときめいた。またC31はデビュー時からターボ(430やジャパンに続いてだけど)もラインナップされており、新しい高級車時代の幕開けを感じるものだった。ジバンシィがプロデュースしたツートンカラーも上品でキレイだった。しかし、後生になってから冷静に見ると、全く同時期に過ごした敵のGX61系マークUに較べて、やっぱり古くさく感じるのも正直な気持ち。モデルチェンジの度にコロコロとコンセプトが変わるので、出た時はとても新しく見えるが、中古になると現行車との関連性が無くなるため、すごく古臭く感じる。これはマークUの「旧型オーナーを裏切らない」モデルチェンジとは対照的だと思う。そんな事も勉強させてくれた車でした。


C230

  

↑左は後期4HT、僕はこの角目になった後期の4HTが一番好き。右は前期セダン。

昭和52年デビュー。我がジャパンと80%も共通部品を持つ兄弟車。親父がジャパンに乗ってる頃、良く展示会に連れていってもらい好きになった。うちのジャパンに較べ、子供心くすぐる高級装備が一杯だった。特に角目4灯になった後期の4HTは今でも大好き!当時あの怖い顔つきを見て国産車とは思えず、「アメ車かな?」って思っていた。今にして思えば、エルカミーノの顔に良くにている。ケツのなだらかなラインと逆ゾリウィンドゥも格好良い!街道レーサー系にもブレイクしていた。昔はローレルの方が若者に対してマークUよりイニシアティブを取っていたのでは?でも一般的にはもう一世代前のC130(ブタケツ)の方がメジャー。